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生活・文化

生活・文化
やさか地区の産業と文化
産業

 やさか地区(旧山口村、坂下町、川上村)は、平成17年2月に中津川市と合併しましたが、古くから鉄道や道路網を活用した産業が発展し地区内で産出される木材を利用した檜風呂桶、ろくろ工芸品をはじめ家庭用品など木工製品の製造販売業のほかギター工場などもあります。

家庭用木工製品

ろくろ

檜風呂

農業

 また農業では良質なコシヒカリなど水稲をはじめ、トマト、なす、シクラメン、栗などが生産されています。

シクラメン

なす

栗
観光

 観光においては、フォークジャンボリー発祥地として知られる椛の湖の観光や、椛の湖自然公園での「そばの花まつり」には県内外から多くの観光客がおとずれます。また、島崎藤村生誕地・馬籠宿、妻籠宿にもそれぞれ約20分で行けます。そして、日本三名泉・下呂温泉は車で45分の場所にあります。

花の湖

妻籠宿

馬籠宿
特産品

  特産品としては、蕎麦や五平餅、栗きんとん、米粉で作った「からすみ」などが、お店や地区内3ヶ所の「道の駅」で販売され観光客に喜ばれています。

五平餅

栗きんとん

からすみ
伝統・文化

 伝統・文化では、800年以上の伝統、岐阜県・重要無形文化財指定の「花馬祭り」や地歌舞伎などが大切に受け継がれています。

わら馬

花馬祭り

坂下歌舞伎
市有林・高峰山と曽我五郎十郎翁

 旧坂下町は、面積29平方キロメートル、人口6000人の小さな町でしたが、教育面では保育園から高校(現在県立)まで、医療・福祉では総合病院、老人保健施設、ディサービスセンターまであり、上下水道についても近隣に先駆け整備されています。

 その理由は、昭和時代の公共施設整備の財源として、高峰山から産出される良質な木材が大きく貢献してきたことによります。

sogagoroujyuurou.jpg 曽我五郎十郎翁は、天保2年に現伊那市で生まれ、20歳 の頃坂下村庄屋・曽我家「伊織屋」の養子となりました。明治4年の廃藩置県の時、苗木藩から高峰山(365ha)が払下げられる事になりましたが坂下村にはその資金(68両)が無く、山が他村の人手に渡る事を危惧した翁は私財をはたいて払下げを受け、8年間植林など山の手入れを行った後、村に寄付をされました。

 昭和になり、高峰山から産出される木材は坂下町の公共事業に大きく貢献し、昭和22年に学校教育法が制定されると住民みんなで山の木を伐り出し「中学校」が建設されました、また高度成長期に合わせるかのように坂下町立実業高校(現:県立坂下高校)を建設、昭和29年には当時で2000万円をかけ総合病院を建設し昭和30年代には胃カメラが導入され胃がんの手術も行われるようになりました。また簡易水道も近隣町村より約20年も早く整備されました。

 曽我家は、不幸な事に大正の始め破産し家族は離散してしまいました。しかし、昭和29年、現在この坂下があるのは翁のおかげであると、当時の坂下町長や議会は翁の顕彰祭を行うとともに、曽我家の子孫(孫の嫁)を探し出し、坂下に呼び戻すと高峰山の木材で住宅を建設し終生年金を贈りました。

 現在でも、毎年10月になると地区を代表するみなさんが集まり翁に感謝し「曽我五郎十郎翁顕彰祭」を開催しております。

詳しくは、曽我五郎十郎顕彰誌「高峰山」をご覧下さい。顕彰誌.JPG

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